評論家から愛好家に
芸術の評論家って、正直いらないと思うんですよね。
評論家の人が、悪いのでなく、受け取る側が、その評論家の言葉を鵜呑みにしてしまうから。
芸術って。言葉で表現出来ない事を表現していて、何が一番大切かって。
それを見て、聞いて、経験して、
感じる。
これが全て。
同じ作品を経験しても、人それぞれ、違った感じ方をする。
それなのに、例えば、美術館で絵画作品を見た後に、作品の横にある、評論家の説明を読んで。
その評論家一人の、1つの意見を、正解だとして自分の中に取り入れてしまう。
美術館を出る時には、作品を見た感動よりも、その作品に関する情報を沢山覚えて帰る。。
そんな人が多いのではないかと、私は思う。
アートが難しくて分からないって、本当はない。
その作品を見て、貴方が何を感じたか。
それが答えだから。
逆に、何も感じないって事は、普段から、頭で考え過ぎて、自分の感情を無視してしまっているのかも。
それで、私が考える解決策は、
評論家という言葉を無くして、愛好家にするの。
そして、評論の前に必ず、
無限にある作品解釈の中の、一つの意見に過ぎませんが、、、
って言葉をまず入れる。
評論家の人が悪いのでなく、一般の人が、直ぐに誤解してしまうから。自分で感じ考える力を他人に渡してしまうから。
その方が一見、楽ですからね。
でも、そうやって生きてると、人生つまらなくなってしまうと思う。
皆んな、人それぞれ、素晴らしい感覚を持っているから、一人一人、自信を持って生きていく。
その、貴方の感じる感覚は、とても尊いものなのです。
唯一無二のその感覚大切にして下さい。
と思いました。
これも、私の考える、無限にある、人生に対する解釈の一つです。